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新ラマーズ法
林 弘平

何故にラマ−ズ法が生まれたのか、その背景と、現在にいたるまでの変遷について述べたいと思う

近代医学の発達する以前の分娩は,産婦主導型であった。産婦自身の生命を守るために、産婦自らが産みやすい体勢をとっていたのである。ただ、恐怖感、痛みには、ただひたすら堪え忍んでいた。そして、胎児にまで配慮する余裕はなかった。

やがて、欧米で、近代医学が発達するにつれて、産婦、胎児とも医療側が守らねばならないという意識がつよくなってきたのは当然である。つまり、主導権が医療側に移ってきた。しかし、医療側は自分だけの都合のよいようにやや強引ともいえる計画分娩、あるいは誘導分娩を主流とし、産婦の分娩体位も決めていった。また、痛みについては麻酔分娩も一般的になったのである。

しかし、当然、医療主導型分娩は、産婦の意思を無視することになった。一般の病気は病人の納得をえつつも、医療側が主導権を握って治療に当たるのは今も昔も変わらない。

しかし分娩は、次の代に生命を伝えるための産婦自身が行う一つの自然の行為である。

したがって、医療側はそれを温かく見守るだけでよく、異常が起きると予想したとき、また、起きたときにのみ手を下すのが自然で、本当のありかたではないのか。また、そのほうが、産婦の意志を無視しない、しかも、分娩そのものもかえってスム−スに終わらせることが出来るのではないか。その思いを産婦側、医療側ともに次第に持つようになってきたのである。そして、その熱い思いが自然分娩志向として一つの流れになってきたのだと思う。

その流れの中にラマ−ズ法がある。

ラマ−ズ法はラマ−ズ医師がソビエトの精神予防性無痛分娩に感激、フランスで基本を作り、そして、アメリカで組織化され、ついで日本に入ってきたのである。

この方法の基本になるのが妊産婦教育で、実技として、呼吸法、弛緩法がある。その理論的根拠はパブロフの反射理論である。犬の実験で、食物をあたえる無条件刺激とベルの音を聞かせる条件刺激を繰り返し同時に与えていくいと、ベルの音だけで唾液反射が起きるようになる。つまり、一定の刺激を繰り返すことによつて、もともとそれとは関係のない反応が起きるようになる。

そして、人間には言葉があるので、言葉が条件反射の鍵になるのである。つまり、徹底した教育により、「分娩は生理的現象であること」「子宮収縮には痛み、苦しみを伴うという条件づけされた古い考えを排すること」そして、「子宮収縮と痛み、苦しみは別なもの」という考え方に変えようとする。この言葉による教育を行うことで、痛みを予防する方法を精神予防法となずけた。そして、麻酔剤を使用したり、暗示、催眠法のような対症療法ではなく、教育、情報により得られるものと説く。

ただ、以上のような、言葉による妊産婦教育の重要性だけではなく、人間の大脳には、意識の世界(言葉で表現出来る世界)のほかに、無意識の世界がある。氷山の水の上に出ている部分が意識の世界であり、水の下に隠れているより大きな部分が無意識の世界に例えられている。この無意識の世界を納得させなければ大脳は落着かない。教育も間接的には影響を及ぼすが、直接影響を及ぼすものに、古くから「行」「道」がある。たとえば、行については、ヨガとか禅、道には、茶道、書道などがある。それらはすべて、身体全体の筋肉の緊張と弛緩のバランスをとる方法、つまり、弛緩法が基礎になっている。

ラマ−ズ医師はやはり弛緩法、呼吸法に着目したのである。そして、第2段階として身体を使った新しい条件反射をつくりあげようとする。それは、「子宮収縮=痛み」ではなく「子宮収縮=呼吸反射」という条件反射を形成することである。                    それは、軽く素早い「吸って吐いて」という胸式呼吸で子宮収縮と痛みとを断ち切ろうとする考え方である。

以上のような、反射理論での理論づけは、唯物主義である共産主義に受け入れられやすく、ソビエトで発展し、中国にも広がっていったのである。

これらの方法がアメリカに渡り、弛緩法はジェイコブソンの方法が主流になり、呼吸法も分娩の経過にしたがって、ほぼ一定の形になり、日本に入ってきた。

実は、私たちは、この早い「吸って吐いて」という呼吸法を行っているうちに、重大な問題点があることに気づいたのである。それは、過呼吸の問題である。子宮収縮と呼吸反射を結び付けるなら、子宮収縮が強くなればなるほど呼吸を激しくしなければならなくなる。興奮したとき、呼吸は早く、浅くなる。したがって、私たちは、人工的に興奮状態を作りあげている事になる。そのような状態になると、酸素と炭酸ガスのバランスが崩れ、血液がアルカリ性に傾き、このために動脈管が収縮、血流が悪くなり、各臓器は酸欠状態になる。脳が酸欠状態になれば意識が混濁し痛みは和らぐが、幻覚、幻想が出たりする。しかも、子宮の血流が少なくなり、胎児が弱り出す。

以上のことから、浅く早い呼吸法は、分娩のときは決してしてはならない。

私たちは、妊産婦教育の重要性については、異論をはさむ余地はない。しかし、呼吸法については、反射理論を持ち込むよりも、東洋で古くから行われている弛緩法のための呼吸法、それは、ゆっくりとした静かな呼吸法でなければならない。

本来の弛緩法は、脳を含めた身体全体の緊張と弛緩のバランスの取れた状態へと導くもので、心の安定を求める方法である。その弛緩法をうまく行うために呼吸法がある。

私たちにとって、生きるということは、楽しく、嬉しいことばかりではなく、苦しく、悲しいこともあり、嫌だといっても避けることはできない。ただ、それらに執着し過ぎたり、拒否し過ぎたりすると、いたずらに引きずり回されて、心の安定を失ってしまう。したがって、事実を事実としてありのままを受け入れることが出来るなら、本当の安定

した安らぎを覚えることができるはずである。

このような精神状態へと導くのが、弛緩法、呼吸法の本来の姿である。

分娩のときもこのような精神状態になってこそ、痛みを増幅することなく、本当に産んでよかったという思いを持つことができるのだと思う。そして、産道の筋肉の無駄な緊張が取れるために、胎児を締め付ける事がなく、産道の損傷も最小限度ですむようになる。

また、死産、異状児の出生等、思わぬ出来事に出会った場合にも、それを受け入れる精神状態へと早く立ち直ることができると思うのである。

今、私の考えている新ラマ−ズ法とは、分娩をする人が、知識として妊娠分娩についてよく学ぶこと、実際の分娩を通しては、事実をありのまま受け入れる事のできる本当の自己を見出す方法である。

 
ぺリネイタルケア‘96夏季増刊
母親学級・両親学級指導マニュアルより転記

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